韓国ドラマファンの友人らが持ってきてくれる DVDのおかげ(?)で
私もすっかり 韓国ドラマのファンになってしまいました(笑)どーしてくれんねん~!
それほどたくさんは見てないのですが 基本的に
「子供は親や教師を尊敬している」
「過激なラブシーンが少ない」
といったドラマが多いので 子供に見せても大丈夫なのが多いのがいいですね

昨日から見ているのは 「グッキ」という物語

グッキ DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: レントラックジャパン
  • 発売日: 2005/08/19
  • メディア: DVD

朝鮮半島や満州がまだ日本の植民地であった頃が舞台
途中で 日本が対戦で敗戦した瞬間に 市民が国旗を掲げて乱舞してる場面がありました
「もう韓国語を自由にしゃべっていいのね?」(でもそれまでも韓国語でしゃべってたよ・笑)
という 主人公の言葉に 日本人の私はドキ!
「日本を追い越せ!」「日本の技術力に負けない国力をつけなくてはいけない!」
と ドラマの中で日本に対して かなりのライバル意識をあらわにしていました。

実は日本がバブルといわれた80年台 出稼ぎでやってきた韓国人のおじさんたちと
知り合いになって交流した時期があり(なんでかってのは 長くなるので省きますが)
イーさん、チョーさん、パクさん たくさんの働き盛りのお兄さんに
チゲ鍋を作ってもらったりしたのを思い出しました^^
その中に 戦争を体験した 少し年上のおじさんがいて その人はかなり日本語を話せ
私たちの通訳になってくれてたんです。
当時は戦争時代の事などあまり考えたこともなかったのですが
植民地時代 日本は韓国の人たちに日本語を強制していたのですね。
ドラマの中のノスタルジーな背景に 遠い昔を思って胸がキューっとなりました。

で、場所は変わってインドネシア、
ここも終戦前3年くらい 一時日本が占領してた時代がありました。
やっぱり日本はその間 現地の人々に日本語を強制していたようで
私のオットの親戚の現在70歳半ばくらいの人の何人かは日本語ができたりします。
オットの叔父さんは 日本語で話をするとき 「私」というのを「ワタクシ」と表現するあたり 
当時の日本人は上品な言葉を使っていたんだろうなぁと思うのでありました。

私の両親が初めてロンボクに来た6年前  こちらの家族との夕食のときに 
母と同じ年のおばさんが戦争時代に習った日本の歌を 母と2人で歌ったのを
嬉しいような なんだか変な気分で聞いていたのを覚えています。

ただ 両者(韓国とインドネシア)の日本人への感情は 
同じように日本語を強制されていても なんだか全然違うんですよね。
インドネシア人は 日本人に対して 憎しみ、ライバル意識の感情はありません(たぶん。。。)
歌を歌ったおばさんも 戦時中の楽しい思い出の歌、というカンジで
くったくなく まるでその歌を習った時の少女のような顔だったのが印象的でした。

もちろん占領していた時期や いろいろなシチュエーションが違っているので
当然といえば当然なんですが 戦争後も日本の電化製品や自動車、バイクなどで
日本は インドネシア人にとって 「あこがれの国」(別の意味では???なとこもありますが)

旅をする 日本人にも親切なのは こういう長い歴史の中で培われたもの?
はたして 日本人が落としていくお金??? 真実はさだかではありませんが
多くの日本人がインドネシアに魅了されていくのは とにもかくにも
インドネシア人の親日家が多く 日本人に親切な人が多いからだろうな~~~と思います。
バリなどはかなり都会化してきましたが ロンボクはまだまだ そういう素朴さが残る島だと思います。

韓国に関しては メディアを通じて おば様たちが 韓国日本の仲良しの橋渡しをしてるようで
それはそれで嬉しい話しではありますが この「グッキ」を少し垣間見た中では
そう簡単なもんではないんだろうなぁ~と思ってしまうのでした。
ドラマの中の 「日本に追いつけ」、、、、
私は最近 もう日本は追い越されてしまったんじゃないか?と考える事があります。
ウサギとカメの話じゃないけど、、、ホンマに、、、ばんばれニッポン!