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にほんご [インドネシア]

韓国ドラマファンの友人らが持ってきてくれる DVDのおかげ(?)で
私もすっかり 韓国ドラマのファンになってしまいました(笑)どーしてくれんねん~!
それほどたくさんは見てないのですが 基本的に
「子供は親や教師を尊敬している」
「過激なラブシーンが少ない」
といったドラマが多いので 子供に見せても大丈夫なのが多いのがいいですね

昨日から見ているのは 「グッキ」という物語

グッキ DVD-BOX

グッキ DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: レントラックジャパン
  • 発売日: 2005/08/19
  • メディア: DVD

朝鮮半島や満州がまだ日本の植民地であった頃が舞台
途中で 日本が対戦で敗戦した瞬間に 市民が国旗を掲げて乱舞してる場面がありました
「もう韓国語を自由にしゃべっていいのね?」(でもそれまでも韓国語でしゃべってたよ・笑)
という 主人公の言葉に 日本人の私はドキ!
「日本を追い越せ!」「日本の技術力に負けない国力をつけなくてはいけない!」
と ドラマの中で日本に対して かなりのライバル意識をあらわにしていました。

実は日本がバブルといわれた80年台 出稼ぎでやってきた韓国人のおじさんたちと
知り合いになって交流した時期があり(なんでかってのは 長くなるので省きますが)
イーさん、チョーさん、パクさん たくさんの働き盛りのお兄さんに
チゲ鍋を作ってもらったりしたのを思い出しました^^
その中に 戦争を体験した 少し年上のおじさんがいて その人はかなり日本語を話せ
私たちの通訳になってくれてたんです。
当時は戦争時代の事などあまり考えたこともなかったのですが
植民地時代 日本は韓国の人たちに日本語を強制していたのですね。
ドラマの中のノスタルジーな背景に 遠い昔を思って胸がキューっとなりました。

で、場所は変わってインドネシア、
ここも終戦前3年くらい 一時日本が占領してた時代がありました。
やっぱり日本はその間 現地の人々に日本語を強制していたようで
私のオットの親戚の現在70歳半ばくらいの人の何人かは日本語ができたりします。
オットの叔父さんは 日本語で話をするとき 「私」というのを「ワタクシ」と表現するあたり 
当時の日本人は上品な言葉を使っていたんだろうなぁと思うのでありました。

私の両親が初めてロンボクに来た6年前  こちらの家族との夕食のときに 
母と同じ年のおばさんが戦争時代に習った日本の歌を 母と2人で歌ったのを
嬉しいような なんだか変な気分で聞いていたのを覚えています。

ただ 両者(韓国とインドネシア)の日本人への感情は 
同じように日本語を強制されていても なんだか全然違うんですよね。
インドネシア人は 日本人に対して 憎しみ、ライバル意識の感情はありません(たぶん。。。)
歌を歌ったおばさんも 戦時中の楽しい思い出の歌、というカンジで
くったくなく まるでその歌を習った時の少女のような顔だったのが印象的でした。

もちろん占領していた時期や いろいろなシチュエーションが違っているので
当然といえば当然なんですが 戦争後も日本の電化製品や自動車、バイクなどで
日本は インドネシア人にとって 「あこがれの国」(別の意味では???なとこもありますが)

旅をする 日本人にも親切なのは こういう長い歴史の中で培われたもの?
はたして 日本人が落としていくお金??? 真実はさだかではありませんが
多くの日本人がインドネシアに魅了されていくのは とにもかくにも
インドネシア人の親日家が多く 日本人に親切な人が多いからだろうな~~~と思います。
バリなどはかなり都会化してきましたが ロンボクはまだまだ そういう素朴さが残る島だと思います。

韓国に関しては メディアを通じて おば様たちが 韓国日本の仲良しの橋渡しをしてるようで
それはそれで嬉しい話しではありますが この「グッキ」を少し垣間見た中では
そう簡単なもんではないんだろうなぁ~と思ってしまうのでした。
ドラマの中の 「日本に追いつけ」、、、、
私は最近 もう日本は追い越されてしまったんじゃないか?と考える事があります。
ウサギとカメの話じゃないけど、、、ホンマに、、、ばんばれニッポン!


ジョグジャで大地震! [インドネシア]

ジョグジャカルタで大地震とニュースはもう日本でも報道されてますが
死者が2500人を超えたとか超えないとか!?

ロンボクは幸い(?)というか 何もありません。
心配して連絡くださった皆様 ありがとう。

今日は朝から 空軍のジェット機が何機も西に向かって飛んでいったのはこれだったのか。。。

私がここに住みだした時に 大きな地震があったら 死ぬしかないな・・・と思っていました。
日本では耐震強度偽装で大騒ぎだけど そんな建築基準法なんて
インドネシアにはないんですよね。

家のタイプはまるで 「3匹の子ぶた」のお話に出てくるような家
竹を編んで壁にした風通しのよい高床の家、屋根はアランアランといわれる萱のようなもの
これは田舎の村なんかでは いまだに普通 こういうタイプなら 今回の地震にあっても
ひどくても骨折程度で 死者まではでなかったでしょう。

しかし町に行くと 建ってるのはレンガの家 、、
物語では 狼はレンガの家はふっとばせなかったけど
さすがに地震にはひとたまりもないだろうと思います。
鉄筋といっても 家のコーナーに使われている程度で ほとんど補強などされていないからです。
今回の被害者はほとんどがこんな家に住んでいて レンガの下敷きになっちゃったんじゃないかなと思います。

普段地震がほとんどない国だから 耐震に対しての知識も乏しいんでしょうけど
一度 災害が起こると やっぱりひとたまりもないんだな、、、と思い知らされました。
ロンボクに来たときは1人だったけど いまやオット、娘3人、お手伝いさん2名
計7名の大所帯、、、、子供に痛い思いだけはさせたくないなぁ・・・・

今回の地震で 空港に近い プランバナンの遺跡がほぼ壊滅状態だとか!
一度だけ ジョグジャに行き この遺跡を見学したことがあったのですが
石に施された彫刻がそれは見事で その場を動けなくなるくらい 感動したものです、、、
それも長い年月をかけて 石を組みなおして やっと復興したものだったというものなだけに
非常に残念な話です、、、、。

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。


ココナツは優等生 [生き物]

しばらく 眉間にシワがよりそうな話題ばっかりでしたが・・・・
また元の 南国のしょうもない話に戻りま~す!

南国といえば ココナツ!ヤシの木ですよね~
 

日本じゃ ココナツミルクか中華街とかで ヤシの実ジュース
くらいしか思いつかないけど 当地では色んなことにヤシが使われてます。
インドネシア語でヤシは クラッパ kelapa

まず実ですが 若い実は クラッパ・ムダと呼ばれ
中身は ココナツジュースがいっぱい!中の実もヤワヤワとジェリー状で
スプーンなどで 中身をしごくと簡単に取れます。
これとジュースを混ぜたものに さらにシロップを入れて甘みを加えると
立派なオヤツの出来上がり その辺の屋台でもよく売ってます。
(氷を使うので観光客には少し危険です)

スンギギから ギリに向かう途中に「マリンブ」というビューポイントがありますが
ここではいつも取れたてヤシの実を売ってます ギリからの観光の帰りにいかが?
(目の前で 若いヤシの実をガシガシ割ってくれます、これは安全)
1個Rp2.000-くらい (要交渉)日本じゃ500円くらいしてましたっけ?輸入ですもんね。


古い実は クラッパ・トゥア ジュースはほとんどなくて あっても飲みません
中の白いところもカチカチになってて これが色んなものに使えます。
すりおろしたものは 絞るとココナツミルク~♪ カレーや魚を煮たり用途はいっぱい。
そのまま お菓子の中身になったりします、ココナツフレークってヤツかな?

カンドーしたのは 以前下宿してた家の大家さんが ある日外で火をおこし
中華なべでココナツミルクを煮てたんですが 水分が飛んで残ったのは
ヤシ油、、、、、こんな風にしてできるんか~と しばらく観察してしまいました。
(他の人に聞くと煮たりせず 1日 放置しとくと自然に油成分が
浮き上がってくるというのですが はて これいかに???)
ま~この油 実際は かなりヤシ臭く これで料理したものはけっこうクセがあるので
私はあんまり好きじゃないのですが・・・・・
昔 バリのお土産でヤシ油を買って帰ったら 冬の日本では固まってしまって
びっくりしたことがありました~(フライパンで暖めたら油になりましたけど)

木の部分はもちろん材木になります、木目が独特で私は大好き、
ほかの木と比べるとけっこう高価、 まぁ まっすぐに育てるの大変そうですもんね。
実とカラの間の繊維はマットになったりしますし 殻を乾燥させて燃料にも使ってます。
ヤシの葉っぱの若いのは お供え用に使われたり 結婚式などのデコレーションにも使います。
(入口にこのヤシの若い葉をアーチ状に組んでたりするのを見かけますが
これが その家でおめでたい事があるって一目で分かるんです)
まぁ とにかく捨てるところがほとんどない優等生。

ちなみに 村の若い衆は まるでオサルさんのように するすると
たっか~~いヤシに登って ヤシの実を取ってくれます。
よく見ると ヤシの木にちゃんと足がひっかけられる「くぼみ」をカットして作ってます。
登るときより やっぱり降りる時のほうが おそるおそるってカンジかな?

唯一危ないのは 落下するヤシの実 高い木になると20M近くありそうです。
これで 年間に何人もの人が亡くなってしまうんだそうで
風の強い日には 実のなったヤシの木にはあまり近ずかないように~。


ホリディリゾート ロンボク [ホテル情報]

もうすっかり乾季のはずなのに 最近また雨。。。。
ほ~~んっと変な天候です、ジャワ島のメラピ山は噴火しちゃうし
ホント そろそろ、そろそろ、、、かも知れませんよっ!

ところで 久しぶりのホテル見学 
以前は「ホリディ イン リゾート ロンボク」と言う名前でやってたけど
去年 いきなりグループからの脱却を宣言!
しばらくして 看板を直してるな~と思って どんな名前になるかと思ったら
新しいその名は。。。。「ホリディ リゾート ロンボク」
オイオイ インが抜けただけやん~~~
ロゴもまったく一緒で色が少し変わっただけ 訴えられるんちゃいますか??

ここのオーナーはインドネシアで一番おっきなタクシー会社の
ブルーバード・グループ、 ホリディインとは単なるロイヤリティ契約

以前ここの社長婦人とおぼしき人と成田空港の免税で話をすることがあった
化粧品のコーナーをウロウロしてると 耳慣れたインドネシア語が聞こえてくるので
思わず私から話しかけてしまったんでした。
私がロンボクに住んでるんですっ!と言うと 「うちのホテルがあるわよ~」
というので よく聞いたら ホリディインのことだったのです (@_@)
手にはメいっぱい抱えた ブランド香水 お土産用なのか???
どうやら東京は正月をラスベガスで過ごし その帰りにトランジットで泊まっただけらしかった
「私 ガルーダなんですっ!」というと 鼻をふんと鳴らして「私はJALなのよ~~~」とのたまった。
ふ~~ん・・・・(笑)やはりお金持ちはJALなんでしょうか?(ヒクツな私・笑)

というホリディリゾート ここもおっきなホテルで 道をはさんで
海側にホテル棟、山側に長期滞在用のアパートメント棟と言われるたてものがある。

アパートメントは広い芝生を囲むように 2階建てのたてものが10棟ほどたってる
今日はそのアパートの見学。
ファミリー・アパートメントってことで 2ベッドルームってのは知っていたんだけど
中に入ると ホント 造りはアパート仕様 2つのベッドルームの間に
LDKスペースがあり オーブン、電子レンジまで揃ってる
めちゃくちゃ広~~~いぞぅっ!
ベッドルームそれぞれに ちゃんとバスルームもついていて なるほど
長期の滞在でも快適に過ごせそうです、実際住んでる人もいてました。
快適だろうなぁ~~~!



ホリディインじゃなくなったって事で ロイヤリティの支払いがなくなった分
今年の契約から値段がぐ~~~っと下がったのでした。
このアパートメントなんて こんだけ広くて うちが公開してる旅行会社のサイトで
1万円以下(夏は少しあがりますけど)かなりのお値打ち価格。
実際お部屋を見て これは ファミリーに薦められる!と鼻息が荒い私でした。(笑)

あとはお客さんに来てもらわないとね~~~
静かなロンボクはしばらく続くのでありました。


初めの一歩 [石鹸・アロマ]


やっと手に入れました EM-4なる「魔法???の液体」

ことの始まりは1ヶ月前の クタ在住LakuenオーナーのRuriさんのブログ
http://lakuen.ti-da.net/t756537
これを読んだ瞬間 「うわ~~~!」と叫んでしまいました。

日本に住んでいた頃は ゴミや環境の問題なんて考えたこともなかった
そんなの行政がしっかりやってくれるし~~~♪
でも インドネシアに住みだしてからは 情勢は甘くなかった
ゴミを処理するのには莫大なお金がかかる ただでさえお金がない(であろろう)
この国に 悠長にゴミを始末している余裕などない(あっても 誰かのポッケに?!)
自分のゴミは自分でなんとかするか 知ったことじゃない!って知らんふりするか
どちらしかないんです。

しかし道を走れば河川にどんどん捨てられる山のようなゴミ
大人が車の窓から 空き缶を見事に投げるこの国のゴミに対する認識
(誰かが掃除するもんだと思っているのか?)
まぁそんなこんなで イヤでも環境問題に関心を持たざるを得なくなったのでした。

前にも書いたけど 燃えないゴミ以外は 庭で燃やす
生ゴミは庭の片隅に埋めていく 、、、、となるべく外にゴミを出さないようにはしてきたが
もうウラの庭もかなり満杯状態 東京湾の夢の島状態であります。

それよりご近所さんのゴミ事情がヒドイ! この暑い国で生ゴミをフタもないような
ゴミいれ場所にポンポンと直に捨てていくので 近くに行くとかなり臭い!
最終的に空き地に捨てられるので ビニールに入れて浄化できないよりはマシなんだけど
ゴミの回収に来るのは 馬車1台 いつもこのゴミ回収をしてくれてるウマが気の毒で
なんとかならんもんかな~と思っていたところに来たー!のが Ruriさんのブログです。

早速彼女に問い合わせたところ 即 メールのお返事が帰ってきて
魔法(?)の液体 EMの情報をいただいた。

地球を救う大変革―食糧・環境・医療の問題がこれで解決する

地球を救う大変革―食糧・環境・医療の問題がこれで解決する

  • 作者: 比嘉 照夫
  • 出版社/メーカー: サンマーク出版
  • 発売日: 1993/10
  • メディア: 単行本


地球を救う大変革〈3〉世界に広がるEM技術

地球を救う大変革〈3〉世界に広がるEM技術

  • 作者: 比嘉 照夫
  • 出版社/メーカー: サンマーク出版
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 単行本


このEM 沖縄の比嘉照夫さんという 教授が発明した
Effective Microorganisms (略してEM)という 有用微生物群
(光合成細菌、乳酸菌や酵母菌などでできている)
同じ菌でも悪いほうに作用すると腐敗やさらなる汚染に繋がるものを
このEMの菌によって よい物質に変えてしまう、というものらしい。。。
(パンの発酵、ヨーグルト、納豆の原理なんですね~)

1リットルのボトルはそのまま使いきりで終わりではなく 培養することにより
どんどん増やして行くことができるそうなんであります。
その培養液は 土壌にまいて土質を改良するだけでなく 毎日の掃除、洗濯にも使えるらしく
ちょっと EMフリーカーになりそうな予感。
まずは 培養液を作ることから始めることにしよう~♪
フタをあけて ニオイをクンクンしてみたが 「・・・・・・」かなりクサイ(笑)
何かが発酵したような、、、どこかでかいだことがあるような。。。
クサイxクサイ=いいにおいになるのかしら~~~。

魔法(?)の液体も使わなければただのゴミ(笑)
がんばってエコ生活実験してみたいと思います! そしてうまくいったあかつきには
ご近所のお母さん集めて 広めていけたらなんて野望(笑)も胸に秘めつつ。。。

誰か EMの効果的な活用術 知ってられたら 是非教えてください!


Nさんの壮行会 IN スンギギ [ロンボク]

少し前にこのブログでも紹介した 
リタイヤ後にロンボクに住んでいるNさん
昨日思い立ったように 「明日から オレは出発するっ!」と宣言

どこにかって言うと ロンボクの上にある大きな島
カリマンタン(ボルネオ島)にであります。
この計画はずっと前からあったのは知っていたので
「あぁ 出発するんですね~」「えぇ?明日!?」
てな具合で まわりの皆 ちょっとびっくり。

で、、、夜 Nさんの招集でスンギギの新しいカフェでささやかな壮行会。

彼の計画はバイクでまずスラウェシのウジュンパンダンに入り
そこでしばらく過ごしてから フェリーを乗り継いで 熱帯雨林の島
カリマンタン島に入って約7ヶ月のツーリングツアー。
60才も半ば インドネシア語は少し ロスメン(民宿)を泊まりながらの
行き当たりばったりの旅 しかもたった一人で。。。。。いや ホント感心します。

Nさんは 元々沖縄の人 彼の子供の頃は沖縄は日本じゃなかった(1972年5月15日に返還)
沖縄の人は早く沖縄が本土へ復帰、、、と言っていた時代に
すでに彼の目は 日本を飛び越えて もっと外の国に向いていたらしい
しかし定年までしゃかりきで仕事をして そんな余裕はなく過ぎた日々・・・・
そして今 彼は念願(?)の外国に住んで 大好きなバイクに乗って人生謳歌してる真っ最中!

実は知り合った時から なぜか「この人とお友達になりたいな~」と思っていたんですが
きっと Nさんの中の「少年のココロ」が私にも見えていたのかも知れません。


そのNさんのバイク仲間な Kさんも出席。(向かって左がKさん・画像公開承諾済です)
先日このブログを偶然見つけた 息子さんのお嫁さんが ヒゲをはやしたKさんを見て
家族で大騒動になっていたそうな、、本当は次回再会したときにびっくりさせようと
ひそかにヒゲをのばしていたらしいんですけど、、、ごめんなさ~~い!

Kさんに 「何で(定年後の住みかかは)ロンボクだったのですか?」と聞くと
実は第二次世界大戦の時 少年将校としてロンボクに2年ほど滞在していたらしく
その時のご縁もあり この地で過ごすことにしたそうなんです。
とても貴重な 60年以上前のバリ、ロンボクの話を少しでしたが聞かせてもらいました。
(これは追加でお話しをうかがって またいつかブログで紹介するつもりです。)

その話を横で聞いていた 私のオットは 「Kさんが行ったかもしれない温泉に連れていってたい」
(Kさんは戦時中 足に大怪我を負って 3ヶ月も患ったのを リンジャニ山にある温泉に
つかって 一晩でその傷が治ったそうです、すごいでしょう?)と鼻息が荒い(笑)
一人でものすごく感動していました。

私自身は もう7年ここに住んでるけど 
「夜」に「スンギギで」 在住日本人と一緒に集うなんて実は初めてでした、
色んな出身地、年齢で 日本では考えられないような メンバー構成だったけど
同じ島に住む同胞ということで すごく楽しい時間を過ごせました。
Nさんに感謝!! 

彼は今日の朝 出発したはず、、楽しく安全な旅でありますように!!


安全な食べ物とは?


ロンボク名物 「プリチン・カンクン」上に乗ってるのはサンバル
辛い~~!けど あとひく美味しい辛さ

最近 友人から拝借したある本を読んで
う~~むと考えてしまいました。

粗食のすすめ実践マニュアル

粗食のすすめ実践マニュアル

  • 作者: 幕内 秀夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 文庫

先日 インドネシアの 魚や肉団子なんかが
ホルマリン漬になってるんじゃないかっ!という話題を書きましたが
最近はその一騒動のおかげで 取締りが強化されたのか?
売り上げががくっ!と落ちたのか?行きつけの肉団子屋(バッソー)も
「NO FORMALIN」ってプレートをばんっ!とおいてあったり
表向きには 事件は終息に向かってるようなカンジです。

だから 読んでる本と何の関係があるのさっ!というと

この本を読んで 「日本もどっこいどっこい」
というより 「日本のほうが危ないかも」って事を感じたから。
そして 「これからのインドネシアも危ないだろうなぁ」とも思うのです。

インドネシアは暑い国ゆえ 魚を取っても 氷につけていかなければ
魚はすぐ痛んでしまいます、そこで登場したのが安価な「ホルマリン」
でもこれはさすがに 合法的な保存方法ではなかった。

日本は合法的なという名の下に 色んな添加物を入れた食品が
それこそものすごい数で氾濫しています。
私が生まれた昭和30-40年代はまさに高度成長真っ只中
添加物まみれの食品で育った私たちの世代の アレルギーのなんと多いこと!
その子供もアトピー皮膚炎なんてのが 珍しい時代じゃなくなりました。

ちなみに私は30代前半で花粉アレルギー(スギ、ヒノキあたり?)
当地にはスギもヒノキも育たないので 引っ越してからはアレルギー知らずだけど
数年前のゴールデンウィークに帰った時は 大変でした~^^

インドネシアは 市場で買い物をするのが一般的で スーパーで食品を買う人は
まだまだ少数派 しかしマタラムに大きなスーパーができてからは
ハム、ソーゼージ(鶏肉か牛に限られるが)も普通にお目にかかるようになったけど
この国の添加物、、、一体 どんなものを使っているのか???
日本の今の有様を見ると あまり積極的に買う気にはなれないのでした。
私一人が買わなくても やっぱり少しずつ市民権を得ていくんだろうなぁ・・・・・

とりあえず この本 日本人には和食だ!と強力に薦めておりますが
1冊読むと 自分の食生活を ふっと見直す よいチャンスになるのではないかと・・


インドネシアの究極の粗食は ご飯、テンペ、サンバル!


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海のこと [石鹸・アロマ]


↑東ロンボクの元気なサンゴたち

先日 バリに泊まっていて ふと思ったこと。

私の泊まった ミンピ・リゾートはこのエリアでも設備の整った快適なリゾートホテル、
できた当初にくらべて サービスが随分カジュアル(笑)になったかな~と思ったけど
お部屋のお掃除なんかは 毎回しっかり綺麗にしてくれてました。
で、ある日 その掃除の最中にお部屋に入ると 1晩使っただけのシーツを
しっかり取り替えているじゃぁないですか。 当然といえば当然なんでしょうけど・・・

最近 バリのホテルでは 「シーツの交換はリクエストしてください」とか
「タオル交換希望の場合はバスケットに入れてください」というホテルが増えたような気がします
大儀は「バリの水の環境を守るため」ということもあるけれど
ホテル側の人員的な問題、電気代などのコスト問題も当然関係していると思われます。

でも「水の汚染を少しでも少なくする!」というのは私も大いに賛成で
1晩使っただけのシーツを毎回変える!なんて事は 本当に不必要な事だと思うんですよね。
きっちりベッドメイクしてもらいたいのは私も同じ せっかくホテルに泊まってるんだもん。
でも 毎回シーツを変えなくても よれよれになったシーツをのばすだけで
ちゃーんと綺麗にベッドメイクはできるんですよ(よっぽど汗をかいたとかは別にして)

その事をお掃除の人に言うと 「特に日本人は変えて欲しいって言う」んだそうで(耳が痛い!)
一緒に来ていた 私の友人に聞いても 
「自分の家のシーツは週に1回だけど ホテルなんだから、毎回変えてほしい」
・・・・・・・・・・・・・・・。
多分 こちらの汚水処理などのインフラのことを知らない上での発言だと思うのですが。 

こちらは下水処理などという観念は多分皆無で 生活排水は直接 海、川に垂れ流しなんであります。
(日本のドがつく田舎も まだこの状態ですけど、40年前の水俣病もこれが原因でしたよね)
大昔はヤシの実を焼いた灰などで 食器を洗っていたりしていたので 海、河川の影響もなかったけど
工業製品にすっかりならされた当地も 「合成」界面活性剤た~~っぷりの洗剤で洗濯をしています。

http://www.caramel-cream.com/life/surface/
http://www.ne.jp/asahi/dz/dai/gouseikaimen.htm
↑合成界面活性剤に関するサイト(一部です)

合成界面活性剤のおかげで 生活が簡単、便利になったというのは 紛れもない事実で
私自身もこれらの製品を使っているので エラソーな事は言えないのですが
たとえば みなさん バリやロンボクに来る 魅力というのは何かと言うと
やっぱり「綺麗な海」があるから というのがあるんじゃないでしょうか??

その人にとって シーツの1枚を毎日変えることはたいした事でないかもしれませんが
ホテルはそのお客さんだけでなく お客さんが入ってる部屋が100室あれば 
毎日100枚のシーツを洗濯しているんですよね これが毎日毎日 何年もの間 続けば???

その見事な例がロンボク ギリ3島のサンゴ礁です、 
私が10何年前に初めて来たギリ3島は それこそサンゴのスカートをはいたような 
時にはエダを見事なブルーに変化させる素晴らしいエダサンゴの群生の島でした、
それが一部のバックパッカーに発見され またたく間に 設備の整ったリゾートホテルが立ち並び 
快適になったな~と思った1998年 世界的な大エルニーニョが発生しました、
類にもれずこのエリアも平均水温が31度(普通は27-29℃)という高水温が続き 
白化したギリのエダ・サンゴは1ヶ月で その90%が死んでしまったのでした。
(ハマサンゴなどはその難を逃れました)
8年たった今  少しずつエダ・サンゴは復活していますが かつての姿を取り戻すには
どれだけの時間がかかるのか?想像もできない状態です。


同じギリでも ロンボクの東側にある ギリ・スラット、ラワンを初めとする
東側の小島の周りは 98年のエルニーニョを体験したはずなのに
エダサンゴはピキピキと元気そのものなんです。(上の画像は東のサンゴ群)
両島とも つねに流れがあり水が入れ替わっている状況なのに
なぜこんなに高水温の影響を受けたのか しばらく考え込んでしまったのですが・・・

両島の決定的な違いは 有人島(ギリ3島)か無人島(東側の島)かというところなんです。

ギリ3島は 急激な環境破壊(ホテルの乱立とともに 増えた汚水)によって
エルニーニョ以前から もうかなりサンゴが弱っていたんじゃないかと思うのです。
サンゴ類は 元来 栄養分の豊富な海には生息しないそうです。
(ギリ3島のように透明度のよい海はプランクトンが少ない=栄養分の乏しい海なんだそうです)
生活排水には 窒素やリンなどが含まれていて それが海水の栄養塩濃度を高くします。
栄養塩濃度の高い海には 海藻が生息に適しているそうで 
本島に一番近い ギリ・アイル(地元民が多く住む)では海藻類の林が実際多く観察されています。

シーツ交換1枚で えらいところまで話が飛びましたが
美しい海を失ってからでは 取り返しがつかない経験を ギリで体験しているだけに
個人個人で この美しい海を守るためにも 是非 心に留めてほしいと思ったのでした。
これは バリ、ロンボクに限ったことではありません。

「ゴミになるようなものは なるべく持ち込まない」=当地はゴミを処理する施設がありません
「洗濯ものもなるべく出さない」=汚れた水は河川、海に直接 流れているという事実
「合成界面活性剤の製品をできるだけ使わない」(天然界面活性剤の石鹸などは低公害だそうです)

私もこれを書きながら 気持ちを新たにした次第であります。
(少し前に当地のシャンプーの話題書いてましたが・・・・かなり恥ずかしい)
みんなで 世界中に残る 美しい海を守っていきませんか?


バリなロンボク [ロンボク]

夕方 出していた写真を取りに再びチャクラへ

いつもの道を通り マタラム・モール前の大きな道に出ようとした

その時!!!
道にはポリスのお兄様たちがたむろして 交通整理してます。

先を見ると・・・・・・・
すっごいなが~~~~~~~~~~~~い行列!
バリ・ヒンドゥーの人達がガムラン鳴らしながら こっちに向かって行進してくるし・・・

実は私 バリの文化がだ~~~い好きなんです^^
オットとケンカするたび 「バリ人のヨメになったらよかったね!」と
イヤミ タラタラ(苦笑)
いや~ホンマそうやったら 楽だなぁと思うけど(ブタもokだし)
こればっかりは仕方がない。

しかし 実際 ヒンドゥーをするとなると こんなお祭が年中あるので
それはそれで 大変!お供えものなんて作れないわ、、私。

ということで たまにこういう行列などに出くわすと
興味津々なのでした。

今回はガルンガン・クニンガンという 大きなお祭の最中だったので
とっても盛大なパレードが見れました。
車を止めて しばし観光客気分でした♪

しかし 行列が行きすぎるまで 一般市民は

大迷惑・・・・・(笑)


新しいマッサージの店 見つけた! [ロンボク]

2019/6追記  このお店は現在ありません。

バリの遊び疲れがドドっとでたので 
無性にマッサージ系がしたくなって 買い物ついでにチャクラへ
(チャクラはロンボクの繁華街で、モールもこのエリアにあります)
ちょっと前にできた「COZY」というお店に行ってみました。

バリでも同じ看板を見たことがあったので ロンボクに店を出す
ということは そこそこ繁盛している=上手 だろうという予測

今日は3時すぎからバケツをひっくり返したような雨で
お店の外観とかは撮影できず・・・(家の近くは洪水になってました)

しかし店構えからして ロンボクのローカルエリアにはなかったような
ちょっとオサレーな雰囲気。フロントのお姉さんもかわいいし 
1階はハーブティなんかも飲めるサロンのようになっていました、
アイスティーを注文すると 綺麗なグラスにガムシロップが別で出てきたよ~~ん。
「甘くしないでね!」と言わないと ガムシロに紅茶を入れたようなものが
出てくるこの島で(しかもローカルいっぱいのエリアで)これはスゴイ!

ここのメインはフット・リフレクソロジーのようだけど
今日はめちゃ肩がこっていたので シアツ・ヘッド・マッサージ 1.5時間
というのを選んでみました、、、どんなだかな~~~?

頭のマッサージと言うと ここでは「クリーム・バス」
ヘアクリームをぬりたくって 強力にマッサージしてくれるのだが
シアツはオイルをすこーしたらして ピンポイントで指圧してくれました。
気持ちよくって 途中寝そうになりました~~!
ヘッド・マッサージとあったので てっきり頭だけ(と肩少し)と思ったら
腕のマッサージと フット・リフレクソロジーもちゃ~んとついていて
なんだかとっても得した気分♪ 終了後はシャンプーもしてくれます。

今までは マタラム・モールの3階にある ジョニー・アンドレアンという
カットサロンで1回12000ルピアだか 激安のクリームバス専門でしたが
安さゆえ 使ってるタオルなんかは くたびれた雑巾みたいなのが出たりして
普通の日本人には 最近お勧めしにくいな~~と思っていましたが
この「COZY」 1.5時間のヘッドマッサージで Rp86.000-(1200円くらい)
と少し高め(?)ですが タオルも清潔なものを ふんだんに使ってくれるし
清潔さと気持ちよさで え~~んちゃうの?!という感想でした。

場所は マタラム・モールからもう少し前方 スパーのルビーの真向かいにあります。
【COZY】0370-6608777 OPEN 11:00-22:00
お手ごろな フット・リフレクソロジーが Rp56.000- (1.5H)
私が今回試した ヘッドマッサージを2人で同時にしてくれる COZY DELIGHTがRp136.000
(一度 他で2人の人にマッサージしてもらったことがあったけど めちゃよかったです)
などなど この他にもメニューがたくさんあります!
このエリアでお買い物したあとにいかがでしょうか???


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